置き薬について

配置薬=置き薬の歴史

越中富山の薬売り

「越中富山の万金丹」「どっけしゃいらんかね~」こんな言葉を子供の時に聞いた年配の人たちも少なくないはずです。

それは行商をする薬売りで、薬局もドラッグストアもない時代、薬は薬売りという行商人がやってきて、家々に薬を置いていきました。いわゆる置き薬のことで、救急箱である入れ物の中に、風邪薬や胃腸の薬、頭痛薬などが入っていて、いつでも必要な時に使えました。

そんな便利なシステムが出来たのは、17世紀後半でした。

それまでに薬屋とおぼしきものは、室町時代に薬種商としてありましたが、全国に『富山の薬売り』として知られるようになったのは17世紀の終わり頃です。

財政難のために地場産業を育てていた富山藩が、第二代藩主前田正甫が合薬=数種の薬を調合すること=に興味をもち、合薬として『反魂丹(はんごんたん)を開発させました。

折りも折り、江戸城で腹痛になった三春藩主の秋田輝季に、居合わせた正甫が「反魂丹」を服用させたところ、腹痛から劇的に回復しました。世に言う「江戸城腹痛事件」という逸話です。

その噂はたちまち広がり、諸国の大名は先を争って富山売薬の行商を依頼しました。こうして、富山の薬売りは日本全国に知られることになりました。

こうして各家庭には便利で安心な置き薬が置かれるようになりましたが、その後明治維新、第二次大戦後と苦境にたたされつつも、その伝統的なシステムの良さで、21世紀にまで継承してきました。ちなみに「万金丹」は解毒、気付け薬でした。

伝統的なシステムの良さ=先用後利

クレジットカードという便利なものが出来たのが、1950年。何でもレストランで食事を終えていざ支払いという時に財布を忘れたニューヨークの実業家が、その失敗からカードを提示してサインをすることで支払いの代わりにするシステムを開発しました。

その便利なシステムから遡ること250年ほど前に、クレジットカードよりさらに便利で、もっと人間的な信頼関係で作られたシステム、それが配置業の誇る『先用後利』というシステムです。

薬売りは元々現金商売でしたが、当時は現代のように交通 網が発達していませんでしたから、必要な時に必要な薬を届けることや、またそれの代金を集めることも容易ではありませんでした。かといって、いつどのような時に使うかもわからないからと言って、数多くの薬を買って常備しておくことは、当時の庶民には不可能なことでした。

それならば多くの薬をお客さまのところに置かせてもらい、次に訪問した時に使った分だけ支払ってもらうというようになりました。

これが『先用後利』のシステムの始まりです。

家庭に無駄なコストを発生させないで、しかも必要な時に必要なものが揃っている、こんな便利でありがたいことはない、そう思われたために、このシステムは瞬く間に全国に広がり、お客さまとの間にかけがえのない信頼関係を作っていきました。

まさにヒューマンネットワークです。

現代的意味=戸別 訪問が出来、お客様との触れ合いが出来る/地域の緊急サポーター

伝統の知恵は新しい時代に多くのヒントをもたらします。

まず『先用後利』のシステムはビジネスモデルとして、現代の流通 社会でも大いに参考になります。

ビジネスの側から言えば、商品を顧客のもとに在庫して、無駄 遣いのリスクを売り手であるビジネスに転嫁させることで、家庭に無駄 なコストを発生させないという実に消費者にとって有難いモデルですが、それは従来の流通 手法で行き詰る商法に新たなヒントになります。

『先用後利』という配置業界の誇るべきシステムは、信頼関係をベースによって機能しますが、最近のあくどい商法で失墜したお客さまとの信頼関係を再構築するモデルとなります。

また戸別訪問によって作られたネットワークは、IT時代のパソコンによるネットワークとは違った人間の触れ合いによるネットワークであり、「ふれあい」や「笑顔」や「握手」や「何気ない会話」のようなハイタッチなネットワークは、今後ますます重要になってきます。

さらには、戸別訪問という配置業に許可される方法によって、超高齢化社会でIT時代に取り残される人々や独居老人などへのサポート、希薄化した地域社会の人間関係の潤滑油のような役割、また忘れた頃どころか、頻発する災害に対しての救急薬の配置など、まだまだ新しいニーズがうまれてきます。

配置販売業は、古くて新しい業界、すなわち伝統的知恵を基礎にして時代の問題解決に先駆ける可能性大の業界です。

お問い合わせ 03-3500-4407